C.F.Martin D-45

the jewelled dreadnaught

今回ご紹介するのはマーティンD-45です。



ぼくらの年代にとってD-45といえば、まず思い浮かべるのがクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングです。
ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・ホリーズという、いずれもコーラスが大変美しい、英米のロック・ グループ出身の4人が集まったスーパー・グループ。
69年のウッドストックで一躍有名になった彼らは、エレクトリック、アコースティックの区別なく、アグレッシヴで、革新 的な音楽を創造しました。その彼らが手にしていたのがD-45。いやあ、あこがれましたね。

70年代後半のクラプトンが手にしたのもD-45でした。
ドラッグとアルコール中毒でほとんど廃人同様だった彼が、カム・バックした1974年のアルバム、 『461オーシャン・ブールヴァード』のバック・カヴァーに写っているのは000-45ですが、 その後しばしばステージでD-45による演奏を披露しています。

では簡単にD-45の歴史について述べておきます。
D-45は1933年、カントリー・シンガー、ジーン・オートリーのオーダーによって最初の1本が作られました。
その後1942年までにトータル91本が作られ、これがオリジナルD-45と呼ばれています。
第2次世界大戦などで焼失したものもあり、50本前後が現存しているといわれるたいへん希少なもので、中古市場に出る ことはほとんどありませんが、アメリカのヴィンテージ・ショップで約1300万円で売られていたのを見たことがあります。

D-45は長いブランクを経て1968年に復活します。
68年から69年に生産されたD-45は、サイドとバックに現在ワシントン条約によって輸出入が禁じられているブラジリアン・ ローズウッド(ハカランダ)が使われているため、中古市場でもびっくりするような値段がついています。

さて、ぼくがもっているD-45は1980年製で、トップはシトカ・スプルース、サイドとバックはイースト・インディアン・ローズ ウッド、ネックはホンデュラス・マホガニー、指板とブリッジがエボニー、ブラック・ピックガードというのが主な仕様です。



びっしりと目の詰まったシトカ・スプルースに、これまたため息の出るほど美しい柾目のローズ・ウッド。

スタイル45はそれに相応しい最高の材が手に入ったときだけ生産されてきた、マーティンのトップ・オヴ・ラインで、 D-45は全生産数のわずか1%と言われています。
ちなみに1980年には266本のD-45が作られました。
トップ、サイド、バックのトリム(縁取り)、ロゼッタ(口輪)まわり、そして指板のインレイに アヴァロン・パール(アワビ貝)による装飾が埋め込まれています。



指板のヘキサゴン・インレイは1、3、5、7、9、12、15、17フレットに使われています。

ヘッドのC.F.MARTINというヴァーティカル・ロゴはスタイル45の証。 ペグは79年半ばからシャーラー(ドイツ)製ロトマチックに変更になりました。
ヘッド裏からネックへ移行する部分にはヴォリュートと呼ばれる三角形の補強があります。





バックの接合部も大変に手の込んだ寄木細工で、モザイク・バックストリップと呼ばれています。



エンド・ピースの部分にもアヴァロン・パールの装飾があります。



マーティンの工場の中でも、D-45の製作に携わることができるのはほんの一握りの選ばれた職人だけといわれており、 それがD-45独特の音と係わっているのでしょう。

© 2004 ryo_parlophone


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